備忘録あるいは魚拓

色々書くことがあって欲しい人生

雑記

土曜日朝の惰眠を貪るこの時間にも何かをしていないと何者かになれないような不安を感じてきたこの頃。長い休みがやっと終わり新学期の授業に気が滅入りながらも、何もしない、何も出来ない夏休みの一日よりはまだ少しだけマシな一日だったなとか思いながら生きています。

 

最近何もしていない時間は自意識と理想ばかりが膨れ上がって夢想ばかり、現実との落差にがっかりするのも飽きてしまって現実を見ることをやめそうになったり。いやまだ俺はできる子だなんて励ましながら前向きな夢を見て、現実は振り返る程度。なんて先の見えないことか。

 

実生活で文章にすることなんて大して無い、なんてことはなくてただ自分の引き出しの少なさに自分でがっかり。素晴らしい文章(本当に素晴らしい)に出会ってしまったが故に感化されて何かを書こうとしたここまでのとここからの駄文。俗物だ。俗物であることに嫌悪感があるわけでもない。その他大勢群衆住民、そんなカテゴリに分類されるのも嫌いではないし、本屋大賞、ベストセラーが好きだ。全米が泣いた映画だって観に行く。それでも何かに抗うように大学の中央図書館で聖書とシェイクスピアを借りてきた。選択は完全に自分の中の勝手な偏見、ヘミングウェイオーウェルはもっとずっと俗っぽいかな、なんてのも。長い時間活字を読むこと自体久々だ。

 

本を開いて感じるのは本当に文章が読めなくなったなということ。本を閉じて考えるのは別にそれが悪いことではないのかなということ。今まで処理できた文字/時間の分母が膨れ上がっているのを感じざるをえない。ただその疲れこそが自分の成長なのかなと思う。多分昔より一文一段落にかけてた処理過程が多くなって、だけど頭のスペック自体はあまり変わってないため時間がかかる。一文に対して自分がどこまで読めているかの話になったら昔の自分とは比較できないほど今の自分は読めている。文章に対して以前より真摯に向き合えている、そんな確信を持ちながらこれからも読書をしていきたい。

 

てなことを考えていた10月の一週間。

 

直近聴いた曲:What Would I Change It To /avicii