備忘録あるいは魚拓

色々書くことがあって欲しい人生

賛成悪魔と反対天使

人間誰しも二面以上の性質がありますよね。例えば買い物なんかをする時に、目の前にあるものを買いたいと思う自分と買わなくてよいとする自分とか。いわゆる葛藤というものでしょうか。そこまで大袈裟でもないか。複数の自分が一人のヒトの中に含意されて人間出来ていると考えてます。つまり各個人はその単一の面に振り切っているとも。液タブを買いたいと思っていた自分と高すぎる買うなと言っている自分は双方いわば平行線の議論をしているわけでお互いに妥協の余地はないと見える。じゃあなんで液タブ買ったんだよと言われれば、そこにもう一人自分がいたからでしょう。そこに、ではなくその上位にでしょうか。アルトネリコで出てくるコスモスフィアを思い出しますが、自分の意識/思考がいくつにも階層分けされており下層、より上位の意識に行けば行くほど無意識的なものになっていくというあれ。買い物時の自分なんかはより浅い場所の自分なんでしょう。そいつらが平行線の議論をしているところに下から少し偉い買い物裁定者の自分が出てくるのです。各人の論点、買った時買わなかった時のメリットデメリットを比較検討して結論づける。結論づける所まで許されているので割と上位の自分ではないだろうか。より下層に行けば行くほど規範的な意識に支配されている気がします。社会通念上してはダメなこと一線を保つ自分は相当深いところにいるのでしょうね。そう願いたいものです。もしかして自分の規範的な意識か浅い所にあるのかもしれないと思う時は普段その事を考えているかどうかということに注目してみればいいのでは。つまり浅い階層にあるならば普段からそういった規範を意識して生活してるのではないかと。具体的に言うと、人を見て「人を殺してはいけない」だとか留守の家を見て「窓を割って物品を盗むことは犯罪だ」とかを日常的に考えてしまう人は意識的に規範を守っていることになるのではないかと。意識的に守っている事の一線は割と浅い所にあるように思えます。レポート課題の締切とかね。普段からそんなことを思わないで生活していけるような人は教育が良かったのでしょうか。ありがとう親。中間レポートを提出し忘れる息子になってしまってごめんなさい。でも自分の中の裁定者は賛成悪魔の提案にのってしまったわけで。賛成悪魔より上位に反対天使を作るしかないのかもしれないと思った一日でした。